皆様へのご挨拶

去る2月10日、午前11時30分から、会場クルーズ・クルーズ新宿(レインボービレッジ8階)において、私の新春の集いを開きました。およそ100名の皆様にお集まりいただき、4期16年間にわたりご支援を賜ったことに感謝申し上げるとともに、本年4月の区議会選挙を前に引退を決意した次第をご報告いたしました。
以下はその時の私の挨拶文です。

佐野礼治でございます。

本日は皆様、お寒い中、またお忙しい中、私の新春の集いにお集まり頂きまして誠にありがとうございます。インフルエンザのため、ご欠席された方も多々いらっしゃいますが、このように皆様の元気なお姿を拝見するだけで、どこか身内のような絆の強さと温かさを感じ、心和(なご)む気がいたします。

毎年の例ですと、年2回の後援会行事、初詣(2月)と屋形船(7月)を通し、私の政治活動の一端をご報告させて頂き、今後の決意を述べ、あとは皆様と歓談する運びとなっておりましたが、今回はそれが出来ず、残念に思いますことをまずもって皆様にご報告しなければなりません。

本年4月21日の区議会選挙を前に、私は熟慮に熟慮を重ねた結果、引退することを決意いたしました。私にとってそれは苦渋の選択でもありました。そのことをうわさとして、また間接的に皆様のお耳に入るより、直接私からお話しした方が良いという観点から、今日に至ったわけであります。

これまで、本当に4期16年にわたり、皆様には大変お世話になりました。深く感謝申し上げます。この間、一地方議員として初心を忘れず、皆様のお役に立てるよう、今日まで中野区の発展に努めてまいりました。中野新橋駅のバリアフリー化や神田川の治水問題(現在の50ミリ対策から100ミリ対策へ拡充)など、それなりの実績を積んできたという自負とともに、何としてでも現役を続けるべく奮起してまいりましたが、体力の限界(72歳)はいかんともしがたく、ここに引退を決意した次第です。

今後は一区民として後継者に一任し、区議会で積ませていただいた経験が少しでもお役に立てるよう、皆様と手を携えて働かせいただきます。なにとぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

また、私は幸せ者でもあります。後継者につきましては、これまで後援会を始め、あまたの支援者の皆様や党幹部からのご意見、ご提案を拝聴いたしました。その結果、私の長女である佐野晃子(あきこ)をご推薦いただき、自由民主党東京都連より昨年暮れ、正式に公認されましたことをご報告いたします。本人はすでに自由民主党中野総支部政策委員として、各種団体(新年会)等に出席するなど、明日の中野をになうべく活動を開始しております。後ほど佐野晃子(あきこ)を紹介し、併せて本人よりご挨拶させる予定です。

今、まさに平成という時代が終わりを告げようとしています。

私が初当選したのは平成15年でした。それからの4期16年は平成という時代の後ろ半分にそっくり重なります。新しい時代の到来に期待する一方で、平成とともに去っていく我が身を思うと、心中、去来するものが多々あり、とても語り尽くすことができません。そして、今こうしてここに立っていても、やはり一抹(いちまつ)の寂しさを禁じ得ませんが、ただ一言、皆様にお願いしたいことは、娘晃子(あきこ)にも私同様、変わらぬご指導、ご鞭撻を賜り、中野区が将来的にも財政的にも豊かになり、新たな国際都市東京の中核として発展を遂げることであります。

16年間、本当にありがとうございました。そしてこれからもご支援くださいますよう心からお願い申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。

以上が引退声明をかねた私の挨拶文の要旨です。

当日、松本文明衆議院議員にも自民党大会の合間をぬってご臨席いただき、ご挨拶を賜りました。同議員は中野新橋駅などのバリアフリー化を例に挙げ「地元のことはその地域に住んでいる人が一番良く知っていて、他所からの候補には分からない、一つのプロジェクトが区・都・国が一体となって実現するには最低数年かかること、如何に仕事を引き継いでいくかが大切だ」等、私の後継者についても皆様の前でご理解をお示し下さいました。

また、多くの方々からこの16年間の思い出を語っていただきました。その一つ一つに胸を打たれる一方、私の挨拶は声が小さくて聞き取りにくかったとお叱りも受けました。
16年の長きにわたりご支援賜りましたことを改めて心から感謝申し上げます。