当たり前のことが、当たり前でなくなる?

平成18年02月:私の想うこと

休日、新聞の整理をしていて、ある記事が目に留まりました。

永六輔さんが自分のラジオ番組の中で紹介した手紙で、小学校の子どもを持つ母親が「給食の時間に、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているのだから、言わなくてもいいのではないか」と学校に申し入れをしたというものです。

番組には早速、数十通の手紙が寄せられ、多くは否定的だったものの、この申し入れを支持する意見も数通あり、給食のとき、『いただきます』と手を合わせることは「宗教的行為だ」と疑問を投げかける人もいたそうです。

『いただきます』について言えば、私は食事を始めるときのごく普通の挨拶で、敢えて理屈を並べれば、もともと「食べる」の謙譲語であって、人からものを貰う「いただく」とは意味が違うと思うのですが、如何なものでしょうか。

問題は「給食費を払っているのだから言わせないでほしい」という点です。この理論なら、逆に、「給食費を払っていないのだから『いただきます』と言うべきだ」ということになりませんか。中には給食費を払えない子どももいるでしょう。その子だけに言わせる教室というのは、考えるだけでも空恐ろしいものがあります。

今回のライブドアの一件もそうですが、世の中、拝金主義が目に余ります。日本はいつからこうなったのでしょうか。金で買えないものが沢山あると思うのは、まるで「負け組み」の烙印を押された者だけのような昨今です。
今後、せめて「ありがとう」という言葉だけは申し入れのないことを願います。