真のノスタルジアって!?

平成18年10月:私の想うこと

秋の彼岸が過ぎ、日の暮れるのも早くなりました。子供の頃、放課後、遊びつかれて家路に着く途中、金木犀の甘い香りに混じってよく秋刀魚の焼く匂いが漂ってきたものです。今では炭火でじっくり焼いた秋刀魚はご馳走の部類です。ベランダに七輪を持ち出し、秋刀魚を焼いていたら、火災警報器が鳴ったという笑えない話もあるくらいで、炭そのものが私たちの日常から消えつつあります。

過日、中野区商店街連合会会長の折原氏と商店街役員の方々数人に集まっていただき、「中野区商店街活性化に向けての意見交換会」を開きました。会の中身については私の機関紙「なかの夢とぴあ」の次号に掲載する予定ですが、その席で、昔のままの商店街を維持していくのはもはや困難だ、いつの間にか炭屋さんがなくなってしまったという話になりました。炭屋さんは一つの例で、私たちの生活様式が変り、それに伴い消えていく店ができるのは仕方ないことなのでしょうが、夕刻時、買い物客もまばらな商店街はなにか秋のもの寂しさをいっそう感じます。

意見交換会で私が胸を打たれた話しがありました。それは商店街の店先に乱雑に置かれた自転車を一つ一つきちんと直しているうちに、みんなも置き方に注意するようになったという中野新橋商店街振興組合理事長の赤池氏の体験談です。カラオケ大会、マグロの解体など様々なイベントの影で、このような地道なご努力があったのだと認識を新たにした次第です。同時に、本来商店街がもっていた地域社会(コミュニティー)の拠点が失われつつあることに深い危惧を感じました。昔なら、自転車の置き方ひとつにしろ、共同体での暗黙の了解や決まりがあり、それに反するようならさりげなく注意したものです。

規制緩和によって、大型店と商店街などの中小小売業者との商業調整を廃止したのも時代の流れと言えばそれまでですが、緩和も『ここまで』という歯止めをかけないと、地域社会そのものが崩壊してしまいます。

秋刀魚を焼くにおいが郷愁になってしまうのも、なにか味気ない感じがしてなりませんが、これは単なるノスタルジアでしょうか。