「謝罪」の「謝」から「感謝」の「謝」へ

平成20年01月:私の想うこと

明けましておめでとうございます。
皆さま、お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

毎年、暮れになると、その1年間の世相を表す漢字が公募され、清水寺の管主が縦1.5m、横1.3mの巨大な和紙に揮毫しますが、昨年は――皆さまご存じのとおり――「偽」でした。2位は「食」。次いで「嘘」「疑」「謝」と、およそマイナスのイメージの漢字ばかり。

森管主は「こういう字が選ばれるのは、誠に恥ずかしく悲憤に堪えない」と述べたそうですが、全く同感です。昨年は「看板に偽りあり」だらけでしたが、せめて今年は同じ「謝」でも「感謝」の「謝」を忘れないように心がけたいとつくづく思います。

その感謝を忘れない話の一つに、トルコの軍艦エルトゥールル号遭難事件があります。2002年のサッカーFIFAワールドカップ日韓大会でトルコチームが活躍したのを機に、この話がマスコミにも取り上げられるようになりましたからご存じの方も沢山いらっしゃるかとおもいますが、事件の顛末を簡単に記すと、1890年(明治23)9月16日、折からの台風により和歌山県串本町樫野崎灯台の沖でトルコの木造フリゲート艦エルトゥールル号が遭難し、587名が死亡または行方不明となる大惨事が起きました。樫野の住民は総出で救助と生存者の介抱に当り、台風で出漁できず食糧の蓄えも僅かだったにもかかわらず、非常用のニワトリまで供出して生存者達の回復に努めた結果、69名が救出されました。

話はそれから1世紀近く経った1985年3月17日に一気に飛びます。イラン・イラク戦争の最中、イラクのフセイン大統領が「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ全ての飛行機を撃ち落す」と無差別攻撃を宣言した際、イラン在住日本人達はあわててテヘラン空港に向かったものの、どの飛行機も満席。世界各国は自国の救援機を出して救出したのに対し、日本政府は素早い対応ができず、空港にいた日本人がパニックに陥った時、トルコ航空の2機が到着し、日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。タイムリミットの1時間15分前でした。

なぜトルコ航空機が来てくれたのか。

前駐日トルコ大使は次のように語ったそうです。「エルトゥールル号の事故の際、樫野の人達や日本人が献身的な救助活動をしてくれたことを、今もトルコの人達は忘れていません。私も小学生の頃、教科書で学びました。それで、テヘランで困っている日本人を助けようとトルコ航空機が飛んだのです」

なんとも心温まる話ではありませんか。「謝罪」の「謝」から「感謝」の「謝」へ、この1年が皆さまにとって良い年でありますよう深く祈念致します。また併せてご支援・ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。