新しい中野のシンボルに桃の木を

平成20年04月:私の想うこと

4月になりました。陰暦では卯月。
文字通り卯の花が咲く月です。
今年のお花見はいかがでしたか。

中野区の桜の名所といえば哲学堂公園ですが、東京で一番人口密度が高い区のせいか、概して緑が少なく、桜並木も数えるほどしかありません。これが例えば目黒区の場合、区内の目黒川沿い約3.8㌔の両岸に約830本のソメイヨシノがあり、毎年「ジャズとワインのさくらフェスタ」が開催さます。規模・内容は目黒とは異なりますが我が中野区も中野駅北口から中野通りを中心に今年も「中野さくらまつり」が開催されます。

もともと中野区は東京のベッドタウンとして発展してきました。特に関東大震災後、都心からの転居者で急速に住宅地化が進み、昭和40年代にはすでにほとんどの農地が姿を消しました。現在、中野区は道路率12.9%で23区中22位。狭幅員道路率は84.0%で同最下位。公園面積率は2.1%で同22位。ひたすら転居者を受け入れてきた結果、東京1の人口密集地(実は日本1。埼玉県の蕨市が日本1というのは東京23区を1都市とした場合)になったのも無理からぬ話です。

しかし、嘆いてばかりもいられません。いかに緑を増やすかということは、これから何十年も先を視野に入れた環境問題に欠かせません。そこで私の提案ですが、現在の区の花「つつじ」はそのままにしても、区の木「しい」は「桃」に替え、可能の限り公園や沿道、河川沿いに植樹する。

中野区がどんぐりの実をつける椎の木を区の木に選んだのは、多分、その昔、武蔵野台地の真ん中に位置して、雑木林が自生していた名残なのでしょうが、桃にも切っても切れない縁があります。明治8年4月、まさに近代教育のさきがけとして誕生した公立小学校の「桃園学校」の名前のいわれは、八代将軍吉宗が紅桃と白桃を沢山植えて「桃園」と呼ばせたことに拠ります。(現在の中野3丁目あたりで、さらに歴史をさかのぼれば、五代将軍綱吉の犬屋敷があった場所です)かつて中野村の周り数里は春ごとに桃花が咲き乱れる「桃源郷」で、江戸中から花見客が押し寄せたとか。まさに目黒川のさくらフェスタの比ではありません。桜より早く咲く桃が中野の新しいシンボルになったらどんなに素晴らしいことでしょうか。

そして例えば現在荒川区がやっているように、苗木を区民の皆さんに買ってもらい、記念にその人の名前を木の幹にくくり、やがて枝を張り花が咲き実をつける、その木の1年1年中野の生長ぶりをまるで我が子のように毎年楽しんでもらえたらどうでしょうか。無論、手入れ等は区が責任をもってする。

こうして毎年たとえ少しずつであっても区内に桃の木を増やしていく「桃の木緑のファンド」制度の設立に皆さん、ご賛同していただけますか。子孫に木を残してやるというのも、あながち「おどろき、もものき」の話でもないと思うのですが。

「桜と桃の花」(今が盛り)
昨年桃園小学校歴代の卒業生の方々が学校名にちなんで将来、桃の花が満開となって欲しいと植樹した「のびよ桃の木」と校内の桜の木

「のびよ桃の木」と校内の桜の木

「のびよ桃の木」と校内の桜の木