焼きイモが主食になる日・・・

平成20年07月:私の想うこと

  • 朝食 茶碗1杯のご飯、蒸したジャガイモ2個、ぬか漬け1皿
  • 昼食 焼きイモ2本、蒸したジャガイモ1個、リンゴ4分の1個
  • 夕食 茶碗1杯のご飯、焼きイモ1本、焼き魚1切れ

その他、うどん・味噌汁は2日に1杯、納豆は3日に2パック、牛乳は6日にコップ1杯、卵は7日に1個、肉は9日に1食

これは、食糧自給率39パーセントの今の日本で、海外からの輸入が完全に途絶えた場合の我々朝、昼、晩のメニューです。農水省が言うには、イモ類などへの生産転換を図ることによって、国内生産のみで1人1日当り2000カロリー程度の供給が可能で、これは昭和20年代後半のカロリーと同じ水準だというわけです。(農水省のホームページ「食料自給率の部屋」から)

まり農水省のお役人にしたら、地球規模の食糧危機に何ら手を打たなくとも、国民が飢える心配は全く無い――、と思うのは我々のヒガミ根性でしょうか。焼きイモ1本で泣き寝入りをするのはいつも庶民だと、言いたくもなります。

昨年11月のこの欄で私はこう書きました。「我が国は年間1500万トンの食糧を生産し、5800万トンの食糧を海外から輸入し、内2000万トンを廃棄しています。量から言えば、国内の食糧生産の全てを廃棄し、まだ捨て足りないので輸入してでも捨てる、という国が他にもあるのでしょうか」と。

この、ゴミとして捨てる2000万トンの食糧があれば、途上国の飢えている人達5000万人を救えます。いつか――それも遠からず日に――我々の主食が焼きイモになった時、積もり積もった飽食の罰が当ったとしか、これでは言い様がないのではないでしょうか。

「食糧危機」はもはや途上国だけの問題ではありません。今まで私達は、食糧は金で買えるものと信じて疑いませんでした。値上がりしてもモノがあるうちは、たとえ不満があっても我慢していましたが、或る日、本当にパンもバターも魚も店頭から消えてしまう。それが現実となる前に私達が出来ることといえば、モノを大切にし、国内で自給できるコメをもっと食べるなど、食生活の中身を変えることくらいしか思い当たらないのですが・・・

近頃、私は逢う人、逢う人ごとに苦情を頂戴しています。年金問題、後期高齢者医療制度、物価高、とりわけガソリンと食料品の値上がり、はては居酒屋タクシーの件まで、「もっと政治をしっかりしてよ」というお叱りです。私のような一地方議員にとっては誠に手に負いかねる国政レベルの問題なのですが。

ただ、地方自治においても、格差社会を是とするのではなく、社会的弱者への思いやりが政治から消えたら、あとは殺伐とした世情が際限なく拡がるだけです。これは中野区にとっても同じことで、万策を尽くしてこれに歯止めをかける、これが目下、私自らに課した使命です。

たとえ微力であっても一生懸命頑張りますので、ご支援のほど、なにとぞ宜しくお願い致します。