バリアフリー化実現までの8年にわたる歳月を想う・・・

平成22年12月:私の想うこと

今年も師走を迎えました。

歳月というのは一日一日の積み重ねですから、思い返せばいろんな出来事も確かに有ることは有るのですが、その一方、あっという間に過ぎてしまった感も否めません。

今年の10月28日、東京メトロから中野新橋駅の改良計画が公表され、念願のバリアフリー化がようやく実現される運びとなりました。私が帝都高速度交通営団(当時)の上野本社を訪れ、中野新橋・新中野・中野富士見町・中野坂上各駅のバリアフリー化を要請したのはまだ区議になる前の平成14年7月でした。この8年以上にわたる歳月の間、いろんなことが有りました。

平成15年10月10日には、私の事務所に地元の方々に集まっていただき、バリアフリー化早期実現に向けて座談会を開きました。その場で出席者のお一人がこう話されました。「これからの時代はバリアフリー化が必然だと思います。欲を申し上げれば、体の不自由な方にとっては車椅子ごと乗れるエレベーターが良いと思いますが、中野新橋の駅の場合は不可能なのでしょうね」

今振り返ってみると、8年にわたる歳月はこの「不可能」を可能にするためのものでした。そして何度も落胆を味わい、時には怒りすら覚えました。例えば17年12月の東京メトロとの確認事項では「中野新橋駅は20年の駅舎リニューアルに合わせて、18年度中に設計を完了し、上部の階段にエスカレーターを設置する」はずでしたが、19年11月、弥生地区センターでの地元説明会では「エスカレーターは階段幅が狭いことや駅周辺の用地買収について地権者の同意が得られなかったことから、当面、上部階段にエレベーターと下部階段に昇降機を設置。20年着工、24年完成」に変更。更にはこの計画も延期となり、他の3駅が着々と整備される中、中野新橋駅だけが取り残された状態が続きました。

この間、私は何度も東京メトロに足を運びました。また区に対しても早期実現を図るよう住民署名を提出したり、議会でも質問を繰り返しました。それは同時に、もし公約を破ったら、私の区議としての使命はその場で終りになるからです。

ともあれ、バリアフリー化実現まで8年の年月が経ちました。工事はこれからですが、曲がりなりにも地元の皆さんの要望が果たされ、公約が実現に向かうことが出来ました。私にとっては長く、そしてある面ではあっという間に過ぎた歳月でもありました。今後も皆さんと共に実現化に向けて注視して行きたいと思います。