お祭のある地区とない地区では生存救出の比率が違う・・・

平成22年02月:私の想うこと

阪神・淡路大震災から今年で15年が経ちました。「1995年1月17日午前5時46分」は「死者6434人」と共に忘れ去られることはないのでしょうが、今年1月22日、内閣府が公表した「防災に関する特別世論調査」によると、大地震に備えた対策を特に取っていない人は24・2%で、前回07年10月の13・5%から大幅に増えました。水、食料、医薬品などを備蓄している人も微減し、防災意識が低下したことに対し、内閣府は「備えの重要性を引き続き訴えていくしかない」としています。

自ら大震災を体験した五百旗頭(いおきべ)真・防衛大学長は「たとえ家屋のがれきに生き埋めになっても、よき近所に恵まれれば救われることが多い」と毎日新聞1月17日朝刊の『時代の風』の中で、「家が壊れ埋もれた人は16万4000人。そのうち79%に当る12万9000人が自力で脱出。3万5000人が埋もれ出られないが、77%が家族や近所の人に救出された。残りの23%が警察・消防・自衛隊に救出された」と河田恵昭・関西大学教授の推計を紹介し、「大震災以後、自衛隊の迅速出動態勢はめざましいが、それでも9割以上が自助・共助によらざるを得ない。ある市長が、生存救出の比率はお祭のある地区とそうでない地区でははっきり分けられると語られた」とコミュニティーづくりの重要さを述べています。

長々と引用しましたが、私はこの文中の「お祭のある地区とそうでない地区とでは生存救出の比率がはっきり分けられる」意味をもう一度皆さんと共に考えて見たかったからです。

自助・共助の社会とは換言すれば共生社会だと思います。一つの地域において自分だけでなく、他者と共に生き、健常者だけでなく災害弱者である高齢者、子供、妊婦はもとよりいろいろな障害を負った人も人間としての尊厳性を持って生きることを保障されていなければ共生社会とは言えません。

お祭というのは、そういうコミュニティーの象徴なのではないでしょうか。そして、健常者とは本来、体力的に勝るかどうかということでなく、共生社会の役割と責任を十分自覚し、自主的に実践出来る人を指すのだと思います。

この2月17日から中野区議会も来年度予算を審議する定例会が開かれます。

今年度の中野区の予算は、税収減と国からの交付金減で、昨年比約62億7000万円も減収となる予定です。

今、「コンクリートから人へ」が合言葉のように言われていますが、一方、コンクリートが住民の生命・財産を守ることも阪神・淡路大震災で実証済みです。(犠牲者の77%が家屋倒壊による圧死、9%が焼死、8%が家具による死。住居の強度がいかに生死を分けるか、この数字からも判ります)

区の財政がますます乏しくなる中、いかにこの厳しい予算を配分するかが問題でもあり、知恵の出しどころでもあります。しっかりと区民の皆さんの声を聞き、何が大切かを選択し、真剣に予算審議に取り組んで参ります。他者への思いやりと優しさがなければ、私達の住むまちそのものがシャッター通り化するだけです。