「絆」(きずな)について平成23年10月の私の想うこと

平成23年10月:私の想うこと

3・11の東日本大震災で、日本では「ガンバレ日本」を合言葉にあらゆる所でより以上に「絆」(きずな)が生まれ、日本を一日も早い復興へと皆が願っています。
私も、一日も早い復興を願う者の一人として、この「絆」という言葉の重さ、大切さを今回つくづく感じると同時に、私が中学生の時に聞いて感動を覚えた「エルトゥールル号遭難事件」を通して、日本とトルコの長い歴史の中から培われ、未だに続いている「絆」を思い出しました。

トルコの歴史教科書にも載っているこの「事件」は1890年(明治23年)9月16日夜半に起きました。オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)最初の親善訪日使節団として皇帝親書を明治天皇に奉呈した帰路、木造フリゲート艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で折からの台風により座礁し遭難しました。587名が死亡する中、69名が救出されましたが、総出で救出に当った紀伊大島樫野の人達は非常用のニワトリまで提供し衰弱した乗組員の健康回復に努めました。トルコではこの美談が今でも語り継がれ、日本に特別な親近感を持っているそうです。

しかし、この話はこれで終わった訳ではありません。エルトゥールル号遭難から100年近くが経った1985年3月、イラン・イラク戦争で当時のフセイン・イラク大統領が「今から48時間以内にイランから外国人は出国せよ。その後はイラン上空のすべての航空機を撃ち落とす」と無差別攻撃を宣言し、イラン在住の日本人はパニックに陥りました。イギリスやフランス等の救援機はすぐに迎えに来ましたが、テヘラン飛行場で待てど暮らせど日本機は現れない。その時、タイムリミットの1時間15分前、2機のトルコ機が空港に到着、215名の日本人を救出、無事日本に送り届けてくれました。イランの日本大使館から救援の要請を受けたトルコ大使館のビルレル大使はこう語ったそうです。

「トルコ人なら誰もがエルトゥールル号遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」

これこそ100年を経ても変わらない「絆」の強さを表したものではないでしょうか。互いに助け合い、一日も早い日本の復興を願う一人として、私も「絆」の重みをこれまで以上に大切にして行きたいと思います。