4期16年にわたる長い間、本当にありがとうございました。

佐野れいじ最後のご挨拶

4期16年にわたる長い間、本当にありがとうございました。

統一地方選挙による中野区議会議員選挙も終わり(4月21日投票、翌22日開票)、新しい議員の顔ぶれも決まりました。

すでに引退を表明し、4期16年間にわたる議員活動に自ら終止符を打った私ですが、厳密に言うと、私の任期は平成31年4月30日までです。つまり、平成の終わりと重なります。偶然のこととはいえ、誠に感慨深いものがあります。

私が初めて区議になったのは平成15年でした。以後、皆様の厚いご支援のもと、区政の一翼(いちよく)を担ってまいりました。

この16年間、さまざまの事がございました。私は自分のホームページに毎月「私の想うこと」というコーナーを設け、議会での質問をはじめ区政の動向、問題点などを載せて皆様にご報告をしてまいりました。すでに160回を超えましたが、その中で、私が一番忘れられない事は、平成23年3月の東日本大震災の被災地、宮城県の東松島市などを同僚議員と共に復旧ボランティアとして訪れた際、仙石線の線路もなく、そこで目にした光景は「頑張って下さい」などと安易に口にするのもはばかるような惨状でした。

「今なお言葉もなく苦しんでいる人達が大勢います」と私はホームページに記しました。そして、自らを助ける「自助」には限界があり、そこには共に助け合う「共助」、さらには行政が本来受け持つ「公助」が必要であることを痛感しました。その時以来、私は人と人との絆をより強くすることを何よりも大切にし、今日に至るまで区政に携(たずさ)わってまいりました。

また、平成14年の7月に、私は東京メトロの(当時の名称は帝都高速度交通営団でしたが)上野本社を訪れ、中野新橋・新中野・中野富士見町・中野坂上各駅のバリアフリー化を要請しました。

中野区本町に住む私にとって、どこに行くにしても、最寄りの駅は地下鉄中野新橋駅でした。改札口からホームまでの長い階段を苦労しながら上り下りするお年寄りの姿を見るにつけ、なんとかしなければなないとの思いが、民間会社を辞め区議を志した私の原点であり、同時にライフワークでもありました。

しかし、駅のバリアフリー化が最後まで残ったのが中野新橋駅でした。バリアフリー設備を設置するに足る用地取得の問題や、構造上の問題など、いろいろな条件が重なり、東京メトロ側のエスカレーター化計画が変更されることも度々ありました。その間、改築前の駅の狭苦しい男女共有トイレに当時の田中区長を連れて行き視察させたこともありました。紆余曲折を経て駅のエレベーターが供用開始になったのが平成26年の8月、駅舎のリニューアルが完成したのは平成27年の2月でした。

時間こそかかりましたが、利用者の地元の皆様に喜んでいただけたことが私にとって議員活動の励みになったことは言うまでもありません。

平成という時代が終わりを告げる今、心中去来するものが多々あり、とても言葉に言い尽くせませんが、私もこのホームページを平成とともに閉じることを決意致しました。なによりも長きにわたり皆様からの身に余るご支援、ご愛読を賜りましたことを心から深く感謝申し上げます。

皆様の益々のご健勝とご多幸をお祈りし、私のお別れの挨拶とさせていただきます。

  • 令和元年5月吉日
  • 佐野 れいじ